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2009年11月 6日 (金)

新自由主義は共産主義なのか?

 派遣労働批判の新書などを続けて読んでみました。
 論者が本に書くこととしては、アメリカ発の新自由主義が日本の良き労働環境を壊したように書いていました。
 かといって、政治的に保守派のオピニオン誌でも、派遣労働は別の論じ方で批判されている。

 本来労働団体がするべき、賃上げ交渉や待遇改善交渉をしない。
 雇用主が変に賢しくなって、社員や労働者に奴隷労働に近いことをを強要する(遵法主義の欠如)。
 単なる「作業」に、仕事のやりがい、誇り(プライド)をもてない。

 まあこのあたりは、右派左派同じことを言っているように思えた。
 ただ、これをそのまま文面通りに取っていたら、結局右派は「昔は良かった」、左派は「行き過ぎた資本主義が悪い」くらいにしか要約できない。

 アメリカも日本も、低所得者、つまりワーキングプアが増えているという。
 いろいろ制度の欠陥などもあげられているけれども、なんとなく思ったことがある。

 これは、アメリカ発の、形を変えた経済の共産化なんではないのだろうかと。

 別に、共産主義者が「清く貧しくあれ」という生活を送っていないのは、日本の共産党の幹部が、共産主義を掲げながらも、しっかり高額所得者としての「赤い貴族」を満喫していることからもわかる。
 アメリカも、過去共産主義「的」な保護政策をとったこともある。

 要は、「赤い貴族」が、やりがいも何も認めない形で「労働」を求め、職場に機械的な「効率」を求める。
 結果、旧ソビエト連邦のライン工場のようなものができあがった。
 こういう構造なのではないかと思うようになった。

 わかりやすくいうと。
 共産党が、真面目な末端党員にきついノルマを課せて、赤旗を売らせたお金で贅沢をする。
 アメリカや日本の社長が、きついノルマで社員(派遣労働者)をこき使って、本来浮くはずのない経費を浮かせて贅沢をしている。
 構造が同じなんじゃないかと思ったわけです。

 アメリカの現場はわからないけれど、日本の若年層(と言っても、40歳以下の団塊ジュニアくらい)に、生活や政治に対する徒労感が満ちあふれているのは、いうまでもない。
 そして、そのストレスと反動から、ネットではネット右翼が出てきている。
 新聞などでは貧困層の極端な保守化と言うけれど、その論調を見ると、かなり共産主義的な思想に対するシンパシィを感じる。
 同一労働同一賃金が宣言されれば、かなり過激なネット右翼ですら飛びつくかもしれない。

 これが、ヨーロッパで盛んな、緩やかな社会民主主義になってくれればまだ良いけれど……
 なんとなく、東北の貧しい実家を救わない当時の政府に反乱を起こした、2・26事件の前夜の雰囲気がするのだ。

 保守の立場からでも革新の立場からでも、他の国なら即反乱が起きそうな状況なのが、今の日本の状況だと思う。

 この後、ゆったりと状況が改善するか。それとも、悪化するのか。
 そこまでは、現時点では考えが及ばない。

 保守・革新の区別はすでに意味がないとは、元学生運動家の友人に言われた言葉。
 少なくとも現時点では、その言葉を実感として感じざるを得ない。

2009年10月27日 (火)

週間金曜日の本を読んでみた

 私は基本保守なので、古い左翼の論者の本は読まないのだけれど。
 先日、図書館から間違って、週間金曜日編集の、ガチの左翼の本を借りてしまった。
 まあ、さほど難しく書いていなさそうだし、ということで、一応読んでみました。

 アメリカのオバマ大統領批判だったけど……
 とにかく、現状の世界情勢認識が間違っていた。

 例えば。
「アメリカは、ロシアとの冷戦を再度望んでいる!」と書かれていたけれど……
 すでに現在、軍事的にはロシアは驚異ではなく、今、アメリカ軍が睨んでいるのは中国。
 中国軍の人海戦術に対する無人兵器の開発を進め、その実験をアフガニスタンでしているという話もあるくらいなのに……

 要は、軍事的な知識を「精神的な穢れ」として仕入れないために、情勢分析がとんちんかんになっている。

 佐藤優(保守系だけど左翼にも共感)や雨宮処凛、湯浅誠(生活視点しか述べていないので、左翼の中では恐らく異質)は結構まともなこと「も」言っているので、少し期待したんだけど……やはり、教条左翼とは思想的に相容れないものがあるなと思った次第で。

 同じ(なのかな?)左翼の中でも、雨宮処凛や湯浅誠の論には、別枠で思うところがあるので、それはそれでブログを書くと思います。

 それでは、また。

ブログ名変更のお知らせ

 諸事情により、このブログのブログ名を改名させていただきます。
「むつふみの備忘録」から、私の固定ハンドルにちなんで、「南十字の備忘録」になります。

 以上、今までの読者のかたがたは、了解お願いします。

2009年10月 2日 (金)

リスクを現場に負わせるな

 某ネットニュースより。
「ある特殊な仕掛けが……当世ベストセラー事情あれこれ」
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/0910/01/news008.html

 まあ、昨今の出版事情でのことが書いてあるのだけれど。
 表題にあるように、「リスクを現場に負わせるな」というのは、かなり声を大にして言いたい。

 別に出版事業だけに限ったことではないのだけれども、大手や上の立場の人が、何しろ「リスク」を取りたがらない。
 その上で、現場には偉そうに「リスクを負えなきゃ一人前じゃない」と、リスクを取るのに慎重な人を馬鹿にする。

 私の知っている編集者は、ライターさんにとある仕事を依頼した時のことを、こう自慢げに語った。
「この仕事の仕事代では、ライターは赤字だろう。取材費だけで仕事代を上回るからね。
 でも、こういう仕事をしなければ、このライターは干されるよ。
 あなたも見習ったほうがいいよ」

 こんな相手に恩を売っても、その恩は帰ってこない。
 むしろ恩を、「おや、天からお金が降ってくる」くらいにしか思っていないだろう。

 ライターや作家は、いわば自由業。
 大半がその日暮らしの収入で、仕事を干されるようなことを編集者や出版社に言える立場ではない。
 それを知っていて、編集者や出版社は無理を言い、それが通るのを当然だと思っている。

 過去、同じ知り合いの編集者が言った言葉。
「作家がうつ病になると『困る』んだよね。
 きついことが言えなくなるし、雑誌に穴が開くから」
 その編集者が作家をうつ病に追い込みながら、その程度のことしか考えていない。
 なぜ、「ゆっくり治してください。いつでも戻れるようにしておくから」と言えないのか。

 私の政治思想は保守だけども、昨今の新自由主義でのダンピング合戦には嫌気がさしている。
 職能者を大事にして、良い仕事をする人には高い報酬を、それなりの人にも食えるだけの報酬を渡すのは、管理者の義務だと思っている。

 最低限以下の報酬しか渡さなければ、良い仕事は精神的にも物理的にも無理。
 現場をその状態に置きながら「出版不況」とは片腹痛い。

 ましてや、売れている作家ですら「編集者の言うことを聞かないから」と切っている現状もあるのでは、もはや救われない。

 世の編集者や出版社は、自分が正社員という形で身分を保障されているのをいいことに、現場に無理を押しつけるのはやめるべきだろう。
 そうでなければ、最後に出版不況は、かなりの数の編集者・出版社を道連れにする。
 そうなった時に、作家やライターはまだアルバイトしながら同人誌という逃げ場があるが、あなた方にあるのはハローワークかダンボールハウスしか無くなる。

2009年8月 1日 (土)

世の障害者支援団体にもの申す

 障害者支援団体というのがある。現在ならNPOなどになっているあれだ。
 一見正しい慈善活動をしている団体に思える。
 だが、私はこれらの団体の影響力も、善し悪しがあると思っている。

 たとえば、下肢障害者の車いす。
 地下鉄やJRにエレベーターを作り、バリアフリーを推進する。それはそれで悪くないし、むしろ良いことだろう。

 ただ、ピントがずれている部分がある。

 地元のバスには、車いすの対応のバスがまれに走っている。今後はこの車両に順次切り替えていくそうだが……
 まず、そのバスに乗っている車いすの障害者を見たことがない。おそらく外出時には、地元自治体の別の支援者を使って車で出かけているか(そういう車はよく見る)、地下鉄直結のところに住んでいるのだろう。
 バス自体、健常者には使いにくく、収容人数も少なくなっているので、非効率的。
 何というか、まさに「支援のピントがずれている」のだ。

 地下鉄のホームにも、急いでエレベーターが作られたが、正直な話、当初は想定してない設計の部分に無理矢理増築・改築しているので、設計に無理がある。
 結果、例えば長いホームの端から端に車いすで移動しなければゆかず、その間のホームの狭い部分の通路は、車いすが通る幅ギリギリで、きわめて危険。

 なんというか。
 当の車いす利用者を置いてきぼりにしている気がするのだ。

 無論、他の種別の障害者にも言えることで、素人目に見てもいまいち使い勝手が悪そうな「施設」であり「設備」なのだ。

 それでいながら、何か活動を起こす時には、障害者を「こんなかわいそうな人がいるのです。なぜ手をさしのべないのですか?」と、同情を誘う言い方をする。

 やはり思わざるを得ないのが。
「支援者は、障害者問題が解決してもらっては困るのではないのか」ということだ。
 だから、お金はかかるが根本的な解決をしない方法で強制し、ピントのずれた支援を続ける。無論お金を出して責任を取ってもらうのは、各種自治体や公共サービス組織。

 エレベーターやバリアフリーは作らせる。だが、それを利用するのは、ごく少数か、もしくは「ゼロ」。これならまだ「ブザーを鳴らしたら、駅員がお運びします」のほうが、手間もお金もかからないだろう。

 実際、利用駅の一つでは、エレベーターの設定位置に問題があり、時間帯が悪ければ、明らかに「不良の脅しスポット」になりかねない場所もある。そこまでの通路に傾斜もあるので、車いすや足が悪い老人にも使いづらい。

 細かな事故でも起これば、全て「行政」「公共サービス」のせい。自分たちは決して悪くない。そんな活動を続けているように感じている。

 慈善事業が、NPOの構成者の「稼業」になっては仕方がない。
 本当に困った人を助けたいなら、とりあえず障害者を「道具」や「飯の種」と考えるのをやめてはどうだろうか。
 そうでないと、日本に本当の慈善事業は育たないように思える。

2009年6月 8日 (月)

世間の「余裕のなさ」の問題化

 最近、人と話していて感じることがある。

 みんな余裕がないのは常々思っていたが、その愚痴に対して「言ってもらいたいこと」がある。
 そして、その「言ってもらいたいこと」がかなりピンポイント、つまり範囲が狭く、そしてそれと少しでも違う反応があったら、ふてくされるか怒り始めるかなのだ。

 みんなストレスがたまっているのはわかる。
「楽な仕事はない」とか言いながら、自分は楽をしながら意味のない無用な負担を押しつけてくる上司や部下や同僚。
 真面目や愚直というのが美徳にならなくなり、むしろ「便利なやつ」扱いされる。
 隙を見せれば、最悪仕事はなくなるか解雇。そのため、飲みの席でもそれに対する処世術が身についている。

 なんというか……皆、気が休まっていない。

 そして、まわりの人が身の回りのことで長話を始めるときに、意見を聞きたいのか愚痴を聞いてもらいたいだけなのか、正直判別できない。
 相づちを打っているだけだと「聞いているのか!」と怒り出す。
 意見を言うと「そんなこと聞いてない!」と怒り出す。

 何となく思うのは。
 彼ら・彼女ら自身、何をしてほしいのかがわかっていないのではないか。
 そのため、何か聞き手に瑕疵があったら、とにかく相手を責める。そしてそれを、ストレス発散の一手段にしているのではないだろうかと。
 さらには、ストレス発散のつもりでも、結局そうはならないため、さらに声を荒らげる。

 日下公人氏の教育に関する本だったろうか。
 書かれていたのは、こんなこと。
「戦後教育の学校では、ノイローゼ予備軍ばっかり作っている」

 何となく、納得した。
 皆余裕がないように教育で「作られて」いるから、他人にもそれを強要する。
 自分のミスにも他人のミスにも容赦がない。

 どう生活や人生に余裕感を持たせるか。
 それが今後の日本の問題だと思う。

2009年6月 7日 (日)

現在の社会の管理部門と現場の関係をたとえ話で語ってみる

 ケーキ屋にたとえます。

 ケーキ屋の経営者が、ケーキ職人を募集していました。
 ショートケーキが得意な職人が応募し、雇われました。
 職人は、一所懸命ケーキを作り、その店は繁盛しました。

 職人は、経営者に言いました。
「チーズケーキやモンブランも作ってみたいのですが」
 経営者は言いました。
「そんなことは考えなくていい。
 今、ショートケーキが売れているんだ。
 もっと売れるショートケーキを作れ」

 職人は、いつか他のケーキを作らせてもらえると思って、がんばってショートケーキを作り続けました。
 しかし、いくらがんばってもショートケーキはショートケーキ。それほど工夫の幅はありません。

 すると、経営者が現場に口を出してきました。
「ケーキにカボチャを混ぜてみろ」
「しょうゆアイスってのがあったから、みそで同じようなものを考えてみろ」
 職人が「それは無理難題です」と言うと、経営者は言いました。
「じゃあ、やめるかい? 募集をかければかわりはいくらでもくるし」

 職人は失業したくないので、仕方なしに売れるわけのないショートケーキを作り続けました。
 そのうちに、他のケーキの作り方を忘れ、ショートケーキしか作れなくなってしまいました。

 ケーキは売れず、経営者は職人を解雇しました。
 経営者は、自分のせいでケーキが売れなかったのを職人のせいにして、責任をすべてかぶせたのです。
 おいしくないショートケーキしか作れなくなった職人は、途方に暮れるしかなかったです。

 そして、経営者は、またケーキ職人を募集しました。
「チーズケーキ作りが得意な職人を求む」
 こういう張り紙を貼って。

2009年5月16日 (土)

公務員批判からいろいろ考察する

 よく公務員批判に、「仕事が楽」「残業がない」とか責める人がいるが、少し違う気がする。
 話に聞いたところ、実際にはそれほど楽な仕事でもないし、サービス残業がないわけでもない。

 窓口業務の人が態度が大きくサボっているとはよく聞く話だが、これも単に民間銀行業務などと人事が逆で、内部事務に有能な人材、窓口には使えないやつを割り振っているだけという話もある。

 地方公務員・国家公務員にかかわらず、多かれ少なかれ転勤もある。準キャリア・キャリアが楽かというとそうでもなく、むしろ責任があるだけつらいという話もある。
 民間に比べて給料が高いというが、好景気の時の公務員は「低給与」の代名詞だし、公開されている初任給を見た限りでは不景気時の今日でもそれほど高所得でもない。
 それでも公務員の給与の全体平均が高いとなると、民間と同じで、ごく少数の「雲の上の人」だけが異常に高い給与をもらっているだけとなる。

 つまり、公務員叩きは、叩いている側が「生け贄」にしているのではないだろうか?

 実際、報道のフリー記者はともかく、正社員はかなり高い給与をもらっているのは、すでに情報が出回っている。
 それでも若手はそれに見合った激務なのは、知り合いに新聞記者がいるのでよくわかる。正直、知り合いもいつ過労で倒れるかわからない状況だ。

 じゃあ、若い記者を、たちの悪い体育会のごとく「健康面で故障しなかったやつを選手(という名の管理職)につける」というレースに参加させているのは誰か?
 言わずともわかる話だ。

 それらの「上」の人たちが、将来有望な若手やフリー記者の記事文章を、意味を正反対になるまで編集する。こころざしを持った人は挫折感や怒りを抱くだろうし、持たない人は上におもねる。
 実際、都合の良い言質だけ取って、都合の良いよう取材の時点で編集をかける記者は、各取材先で嫌われている。

 公務員も報道も、一部の管理職だけが得をするような構造になっていないか?
 今の若い人たちは、上に押さえられて、先走りの一つもできないよう、「組織」や「社会」の枠をはめられているような気がする。

 別に、私は左翼ではないし、むしろ思想的には保守なので、組織自体は必要なものだと思っている。
 しかし、今の組織の構造はおかしい。
 何というか、今の管理職から定年組に好きなことをやらせるように、給料以上にこき使われている気がしてならないのだ。

 仕事を「いやなことをやってお金をもらう」と割り切っていればいい。
 ただ、「やりがい」を求めて、もうけの薄い、割りの悪い仕事に飛び込んでいく人にとっては、公務員や報道に限らなくとも、この現在のゆがんだ構造は何とかしなければ……

 このままの日本では、北の将軍様も赤い大陸国家も笑えないような気がする。

2009年3月10日 (火)

得意分野を伸ばさせない教育現場

 私が学生時代の教育現場では、「得意分野」というものは認められなかった。
 個々の教師によってはそういうものを「伸ばそう」という方針をとる人もいたのかもしれないが、学校全体としての基本方針は全く違った。

「全教科をまんべんなく勉強、かつまんべんなくいい成績を取れ」
「素質やセンスがものを言う芸術教科や体育、技術・家庭科も、同じようにいい成績を取れ」
「一教科だけ得意でも意味はない。むしろ邪魔」
 実際、担任に「全体的に成績がいいが、際だって得意な科目はないな」と評された人が、進学校に進んでいた。

 これに加えて、トラブルを起こさない子が大事にされる。
 生徒自身の責任や資質が原因のトラブルはある程度仕方がないが、ちょっとした家庭問題や巻き込まれ型のトラブルも、教師方は敬遠したがる。

 結果、どういう子が「いい子」か。
 特に得意な教科はないが、どの教科もまんべんなくペーパーテストでいい点を取ることができ、スポーツができて手先が器用でセンスがいい。そして決して面倒なトラブルは起こさない。

 つまり、すべてにおいて完璧で、手のかからない子。
 一言で言えば、「面倒くさくない子」なのだ。

 こういう子でなければ、成績や平常点をよくしてもらえないので、中高生でまじめな子は、そういう子供を「演じる」。将来や進路をかたに取られているのだから、演じざるを得ない。そして、そのストレスが並大抵でないのは、想像に難くない。

 その努力を貫徹した後、何かのきっかけで失敗したら、子供の傷つくことは並大抵ではない。
 結果、自暴自棄になり、自殺なり引きこもりなり暴走したりする。

 もっと生徒の「得意分野」を伸ばし、専門に特化した教育をしなければ、技術立国(文系・理系に関わらず)どころか、まともな人材自体育たなくなるだろう。
「得意を伸ばす」より「苦手を克服」のほうが、労力やストレスが多く、非生産的なのだから。

2009年1月18日 (日)

人生観に余裕を持とう

 何となく、じょじょに余裕というか遊びのない世の中になってきているなあと感じている。

 なんと言うか、みんな生活だのなんだのに追いまくられて、目の前が手一杯。
 そのため、仕事や他のもののできが荒くなる。
 そのせいで予算カット→さらに追いまくられる。

 上も下も、つまりどの立場の人もその状態だから、皆、視界が狭い。
 自分以外のことには興味が無く、干渉もしない。

 個人主義におけるゴーイングマイウェイならまだ救いがあるが、単に自分のまわり少ししか見えていないだけ。
 ちょっと余裕を持ったり、腹を据わらせるだけで好転するものが、すべてゆるやかな負のスパイラルに自分で追い込んでいく。

 小泉元首相が就任した際、「米百俵」の話をしていた。
 小泉首相の政治方針はともかく、今の世の中この精神は見習うべきだろう。

 ちょっとの意識変革で、負のスパイラルを正のスパイラルへと変える。
 将来を考え、見据える。
 少し余裕があればできること。

 とにかく、しゃかりきになって走っていて、状況が悪い人には言いたい。
 いったん止まれ。そしてまわりを見回して、改めて走る正しい方向を見据えろと。

 遊びのない歯車は、回すのに力が必要で、しかも非効率。
 遊びを作って、油を差す必要があると思う。

«根性「がんばれ」否定論